生きるよろこび

夜のうちに台風が過ぎ去っていきました。台風のことを忘れるような穏やかな朝になっています。三重県南部や和歌山などでは相当の雨が降ったようですが、洪水などの大きな被害はまだ報じられていません。大丈夫だったでしょうか。

今日の聖教オンラインは、〈信仰体験〉がすごくよかったです。直腸ガンと闘うジャズピアニストご夫婦の話。以下その全文です。少々長いですが・・

〈信仰体験 生きるよろこび〉
さあ楽しもう 心のセッションを

ためらいなく、大胆に。田口さんの十本の指が鍵盤を躍ると、自在なジャズが響く。セッションになれば、その表情は一層和らぐ(千葉県富津市のCafe Gallery Lavandulaで)

プロローグ
 【千葉県南房総市】本番前の午後1時、ピアノの鍵盤に指を乗せた。打鍵はまだ、わずかに重い。抗がん剤の副作用で体重は10キロ減少し、手足症候群で薬指と小指にしびれが残る。
 かきあげた髪に口ひげ、そして、しなやかな指が、いかにもジャズに魅せられたピアニストの風貌。そんな田口眞さん(58)=南房総栄光支部、地区幹事(創価長〈ブロック長〉兼任)、芸術部員=は、昨年末から直腸がんと闘っている。がんの切除手術と一時的ストーマ(人工肛門)の造設、リンパ節への転移……襲い掛かる荒波にあっても、そのジャズは実に楽しげだ。現在、服薬による抗がん剤治療を続ける。7クールを終え、最後の8クール目を控えた8月18日、ピアノの前に座った。
 リハーサルを1曲、2曲――。本番直前に弾いたのは、ジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」。世界中で愛され、思わず体が動き出してしまう陽気な曲だ。「まだ音を取り戻す途上」でも、喜びが全身を駆け巡る。時計が午後2時を指すと、渾身のジャズが始まった――。
 ♬  ♬

 会場は、富津市のライブハウス。この日は、ピアノソロをBGMに、コーヒーでも飲んで楽しんでもらうつもりが、楽器を携えてきている観客の姿も。
 ジャズは、アドリブ(即興演奏)を交えたセッション(共演)に醍醐味があることを、観客も知っている。
 「お好きなものを一曲、やりませんか?」
 田口さんの呼び掛けに、ギターを持参した一人の男性がうなずく。セッションになると、自然と気持ちが前に出る。ギター奏者を見つめ、呼吸を合わせる。音と音を交え、時に笑みをかわす。絶妙な流れで、音が調和した。
 見せかけや、ごまかしは通用しない。アドリブは場当たり的な軽薄さではなく、経験と研ぎ澄まされた感覚、そして奏者の心が音に出る。自分をよく見せようと下心がのぞけば、セッションは一つにならない。若い頃は、「自分の音しか聞こえなかった」。
 ――ピアノを譜面通りに弾くことに飽き飽きとした小学生時代。高校生で出あったジャズに、求めた音楽があった。大学では講義よりもジャズ喫茶へ。技術が高い人とのセッションを通し、度胸をつけた。
 結局、大学は中退し、青春をジャズで染めていく。仕事場は、ちまたにあふれていたジャズクラブ。だが、演奏の場は、景気の後退とともに減る一方。安定を求め、サラリーマンに転向する仲間が相次いだ。
 田口さんも26歳で、広告代理店に勤めた。街に出れば、ピアノが恋しかった。1年で辞職を願い出た1987年(昭和62年)、創価学会員のピアニストと出会う。
 「自分の引き出しの中に、技術が入っているとしよう」
 彼の話に引きつけられた。
 「君は、その引き出しを、どんな場所でも使いこなせるかい? この信心で、それができるようになる」
 同年11月、ピアニストとしての成功を願って入会した。

 ♬  ♬

 店内で、談笑する人はいない。いつしか、観客が抱える楽器が増えた。セッションは5人に。ベースにギター、トランペットにドラム。折り重なるアドリブを、田口さんがリードしていく。
 ジャズ経験は、他の場所でも生かしている。結婚式の披露宴や、出棺までをピアノで送る葬儀で、臨機応変に音を届ける。真心込めた演奏で、場の空気をつくる。
 何のために音楽をするのか。その答えを信心が教えてくれた。
 ――入会の翌年、音楽隊の軽音楽部の一員に。ある日、学校コンサートで演奏。高校生の反応がいまひとつだった。先輩に心の奥を見透かされた。
 「たとえ、相手が聞いていなくても、諦めずに音で訴え続けるんだ。誰かの人生の出発点になるかもしれない。その一人を思って届けよう」
 田口さんはバックミュージシャンとして、日本武道館など数多くの舞台を踏んでいく。生放送のテレビ番組では、ピアノの伴奏を務め、大物歌手やトップアイドルと全国を回った。
 控室やトイレで、題目を唱え、ピアノに向かうのが常になった。
 「音楽は、ここだよな」。そう言って、胸を指さすドラマーの芸術部員が憧れの人になった。

 ♬  ♬

 時に激しく、時に優しく――1曲終われば、次へ。その場に合わせ、浮かんでくる楽曲に体と心を託す。
 ピアノのそばには、目に涙をためる妻・峰子さん(65)=白ゆり長、芸術部員=がいた。子どもを連れたお客に気付くと、そっと「ディズニーの曲を」と促してくれた。
 ――二人は、2003年(平成15年)に出会った。30代で乳がん、離婚を経験した峰子さんの人生観は、“人生には諦めないといけないことがある”。だが、田口さんのひたむきな生き方を通して、それが変わった。
 05年に入会後、峰子さんは二つの難病を発症。田口さん自身も離婚を経験し、子育ての真っ最中だった。支え合い、共に人生を歩み始めた。
 「一緒に頑張ろう」
 がんを発症した昨年。妻の言葉が、がんとの闘いに希望をくれた。二人で涙を流しつつも、唱題の先でつかみ取った。「自分の音を深める時なんだ」
 抗がん剤治療をしながら、演奏に復帰したのは今年4月。ストーマのことを知り、声が掛からなくなった現場もあった。悔しさも、社会を変えるための力にする。そう決めて、ピアノに向かい続ける。
 
 ♬  ♬

 今日の終演が近づいてきた。最後は、平和な世界を夢みて作られた「この素晴らしき世界」をピアノソロで。
 88の鍵が歌いだす。自在に情熱的に。心に巣くう恐怖も弱音も吹き飛ばして。
 この闘病は、ピアニストとして成長するための、序曲にすぎない。どうせなら、楽しんでやる――今を生きる喜びを音に乗せた。

エピローグ
 3時間の演奏が終わった。拍手を浴び、セッションした一人一人の手を握る。疲労感が心地いい。
 この胸を鼓舞し続ける、人生最高のセッションを思い出す。1991年5月の創価大学。この日、池田先生の前で、音楽隊軽音楽部の一員として演奏を披露した。
 さらに、先生はスティックを握ると、ドラムの前へ。自由なドラムの響きに合わせ、「A列車で行こう」を共に奏でた。終了後、固い握手を交わした。
 がんと対峙する唱題を重ね、2首の和歌を胸に刻む。
 池田先生が詠んだ「わが運命 かくもあるかと 決意せば 惑うことなし 恐れることなし」。
 戸田先生が詠んだ「旗もちて 先がけせよと 教えしを 事ある秋に 夢な忘れそ」。
 命の旅は、師と紡ぐ心のセッション。「ここで負けられない」。自分にしか出せない音で勝ち飾る。

今を生きる喜びが記事の端々から感じられましたが、私は特に次の記事の一節が心に響きました。

「たとえ、相手が聞いていなくても、諦めずに音で訴え続けるんだ。誰かの人生の出発点になるかもしれない。その一人を思って届けよう」

この闘病は、ピアニストとして成長するための、序曲にすぎない。どうせなら、楽しんでやる――今を生きる喜びを音に乗せた。

「わが運命 かくもあるかと 決意せば 惑うことなし 恐れることなし」

Follow me!