謙虚さ、感謝と尊敬の心
▼いくつになっても子は親から学ぶ。全ての人から学ぶ謙虚さ、感謝と尊敬の心を持つ人は成長を続けられる。“人生の先輩たち”は宝の存在――その哲学が広がれば、きっと優しい社会になる。(城)
これは、今日の「名字の言」の最後の部分です。
帰りの電車の中で読み、ドキッとしました。
👀
私は最近特に、人は年齢じゃないと痛感することが多くありました。ですので、妻へ、「やっぱり人間性って、年齢じゃないよね。それぞれの人だよね。」と話すことが何度かありました。
それはなぜかと言うと・・・
私よりも年配の方や老人と接した時に、嫌な思いをしたり、情け無い姿を見かけることが、度々起きていたからです。
例えば、私が車を運転していて、通りかかった老人運転手の無謀な運転によりこちらがヒヤッとすることが何度か続いたり、通勤電車の中で、年配のサラリーマンや老婦人が、車内が混雑しているにもかかわらず、二人分の座席を占領していたり、私の仕事上受ける電話では、質問する側の立場の老人が頭ごなしに初めて会話する私を一方的になじったり。人生の先輩である老人の情け無い姿をあげればキリがありませんでした。
ですので、私は、自分はもっと良識ある年の重ね方をしたいと、「他人の振り見て・・・」じゃないですが、そう痛感するこのごろでした。
きっと、それはそれでいいと思いますが、じゃあなぜ私は、冒頭の名字の言を読んでドキッとしたんだろう?
考えてみると、最近の私は、高齢者の悪いところばかりに目が行き、良いところには目が行きにくくなっていたような気がします。
『全ての人から学ぶ謙虚さ、感謝と尊敬の心を持つ人は成長を続けられる。“人生の先輩たち”は宝の存在――その哲学が広がれば、きっと優しい社会になる。』
良いところを学ぶ。その謙虚な姿勢が必要です。
正直、反省ですね。
「謙虚さ、感謝と尊敬の心」
常に肝に命じていたいです。