紅葉

朝の通勤中、笠間クラブのてらもと会長から、全国大会の支援に関する依頼文がグループラインに送信されました。続いていわたに代表からは、団員に贈呈する野球バッグを発注したとの連絡がありました。どちらも、最大限の協力をしたいと考えています。

私は今週、新人間革命第29巻の「常楽」の章を読み返しています。今週末には第三回の中部大学校があり、大安支部はその席上、常楽の章を精読しての発表を任されています。

今日、帰りの電車で再読が終わりました。そして思ったこと。

前半のガルブレイス博士との交流や熱原の農民信徒の不惜身命のたたかいもよかったんですが、指導部の先輩に向けた先生のご指導が、やはり一番心に残りました。

いかに晩年を生きたかが、一生の総決算となる。青年時代から悪戦苦闘を乗り越え、懸命に学会活動に励んできたとしても、高年になって、広布への一年を後退させてしまうならば、人生の大勝利を飾ることはできない。日蓮大聖人は、「始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん」と仰せである。(P83)

人間として生まれ、正法に巡り合えたからこそ、広宣流布の大偉業に連なり、人びとに仏法を語って、地涌の菩薩の使命を果たしゆくことができる。そう自覚するならば、学会活動に参加できることに、無上の喜びを感じざるを得まい。(P85

晩年における最大最高の信心の実証とは何か――財力や地位、名誉等ではない。ありのままの人間としての人格の輝きである。皆を包み込む温かさ、人を思いやる心、大いなる理想への不屈の信念、飽くなき向上心、――それらが育む精神の光彩こそが、人格の輝きといってよい。それは、紅葉の美に似ているかもしれない。木々は、深雪に耐えて芽を出し、天高く伸びよう伸びようと枝を張り、葉をつけ、灼熱の太陽に自らを鍛える。やがて、その帰結が炎の紅葉となる。そして、葉が落ちる瞬間まで、自身を赤々と燃やす。見る人に幸せを送ろうとするかのように。紅葉は人生の晩年の象徴であり、生の完全燃焼がもたらす、鮮やかな彩りの美といえよう。その円熟した美しさは、青葉の青春に勝るとも劣らない。(P86~87)

特に、「晩年における~」の一節が、好きで好きでたまらないと、改めて感じました。

私の人生、後半を迎えています。紅葉のように、見る人を幸せにするかのごとく、完全燃焼したいと思っています。

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