思い出してしまった
今朝は肩凝りがひどかった。昨日の一周忌法要で疲れたのかもしれません。
法要自体はむとう本部長の導師で、穏やかに行われましたが、最後の喪主あいさつのところで、自分の気持ちを絞り出して喋ったのが、思った以上に体に力が入っていたようです。あれもこれも話したいと考えて、話す内容がまとまらないまま本番を迎えてしまい、後で振り返ると、言い忘れたことがいくつもありました。あれで親族のみなさんに伝わったかな。
今日からだいちが二泊で旅行に行くということで、今朝は始発電車に間に合うよう、駅まで送りました。
ゆめも、いつもどおりの同じ始発電車でしたが、甘えず自分の自転車で駅まで来ました。えらいね。
だいちとゆめを見送った後、家に帰る途中で、あの時のことを思い出してしまいました。
去年の3月10日から11日にかけての深夜のICUでのことを。
10日午前の診察で昴の容態が悪化していたため、24時間ICUのベッド脇で昴に付き添うことが許されていました。交代で付き添うことにし、その時私はだいちと二人ベッドの横で昴の体をさすり、昴に小声で呼びかけながら、生還を祈り続けていました。ところがその時、ICUの機器の表示が昼間のそれとは違っていることに気づきました。
「機器の表示の波が落ち着いたね。」
「容態が落ち着いてきたんやに。」
その時はその機器が脈なのか呼吸なのかもよくわかっていませんでした。
翌日の午前中の診察で、昴は脳死状態であることを宣告されました。
前夜ICUの機器の波が落ち着いたのは、自発呼吸が止まってしまったからだった。そのことを後で知らされました。
「脳死状態でも、生還することはあるんですよね。生き続けることはできるんですよね。」
執刀医は、黙って頷いていました。
3月11日。私たちが昴の生還を祈るその思いがMAXに達した日でした。事故初日の睡眠を悔やんだのもこの時でした。
そんな日に一周忌法要をやり、同じ日の午後世界中の学会青年部員が集うことになるなんて、何か意味があるのかなあ。
通勤電車の中でそんなことを考えていたら、いつもの中日新聞を読むことなんて、どうでもよくなりました。