変毒為薬
今朝は1時間ちょっと走りました。北勢球場へ向かう前半30分は妻も一緒でした。後半ペースが上がりましたので、いつものデンソー正門往復ではなく、デンソー正門で折り返し、おがわ焼き鳥ーガソリン道路へと遠回りして、いつもより少し長い9.4キロ、1時間4分を走りました。1日休憩日を作ると、疲労が取れて調子よくなりますね。
今日の〈名字の言〉は、“変毒為薬”でしたね。その全文です。
〈名字の言〉 2018年10月17日
一般に、体に悪影響を与えるものを「毒」、良い方に作用するものを「薬」と呼ぶ。つまり毒と薬は対極の存在。だが薬学を学んだ友人から「毒と薬は実は表裏一体」と教わった。配合や服用する人の体調などによって毒にも薬にもなる可能性があるという▼創価の友は悩みに直面した際、「変毒為薬してみせる」「宿命を使命に変える」と誓い、難局を打開しようと祈り、行動する。困難から逃げ、別の対象に心を向けるのではない。試練と向き合い、それが人生に及ぼす意味を劇的に変える挑戦である▼東北のある男子部員は、高校入試に失敗し、昼に働きながら定時制高校を出た。その後、創価大学を3度、受験するも不合格。進んだ同大通信教育部では卒業に7年を要した。そして勝ち取った教育関係施設への就職も、東日本大震災の影響で白紙となった▼挫折の連続である。しかし、それが彼の決意を強め、使命の道を見いださせた。「何としても教育の道に!」。現在、小学校の教壇に立つ彼は言う。「誰にも使命がある。そして必ず花開かせることができる、と伝えたい」▼人生の勝負は途中の失敗では決まらない。最後に勝って決着をつけること。その勝利へ挑む中で、苦労の一切が自分を助け、支える「薬」へと変わっていく。(城)
そして今日の信仰体験は、乳がんと闘う埼玉県の婦人の話でした。すごいなー。すごく長いけど、こちらも全文です。記事のあちこちに、私が共感できた内容が書かれていましたので。
〈信仰体験 春来る 乳がんと私〉1 術後8年、今を踏みしめ 2018年10月17日
大切なのは、心が濁流にのみ込まれないこと。
前に進めない時があってもいい。
ただ、後ろには一歩も引きません。
10月は「乳がん月間」。早期発見のための啓発運動が展開されている。現在、乳がんは女性が発病するがんで最も患者数が多く、11人に1人の割合となった。この病にどう向き合うのか。この連載では、信仰を抱き締め、乳がんと闘う友の声を届ける。第1回は、さいたま市の上原千鶴さん(60)=見沼中央支部、区総合婦人部長。
検査の待ち時間、いつも本を開いた。サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、目には見えないものの大切さを思う。命を見つめる時間が過ぎていく。
病院では、さまざまな患者が行き交う。どんな病気で、どんな生活を送り、どんな未来が待っているのだろう。病院に来るまで、自分が病気になるとは思ってもみなかった。
病とは縁がなかった人生。これまで気になる症状も全くなかったが、乳がん検診で初めて直面した。
闘おう! そう思う半面、感情がめまぐるしく動く。なぜ私が病気になったんだろう。もしかして死んでしまうの?……。
弱気とのせめぎ合い。多くの人の言葉が押し返す力をくれた。電話越しの父は変わらぬ確信で「乳がんなんか、題目で吹き飛ばせ」と。婦人部の先輩は、安心をくれた。「いつまでも待ってるから、完璧に治しておいで」。学会の正役職を担い、全うできない申し訳なさもあったが、心は定まった。
「病気になった意味は考えても、“原因探し”はしません。医師の手を借りても、治すのは自分自身。みんなの励ましも、大切な“治療”の一つだったと思います」
◇ ◆ ◇
抗がん剤の副作用は気力をそぎ、出口はないように思えてくる。背中をさすってくれる夫・延宏さん(60)=副区長=や子どもたち。家族のぬくもりは、その先にいる無数の同志とのつながりを感じさせた。
「今日は、○○さんからお母さんのことを聞かれたよ」
「あの人も、祈ってるって声を掛けてくれたんだ」
同志の姿が浮かんだ。携帯電話には体調を思いやる文面が。末尾には〈返信はいいからね〉と。
“励ます”という行為は、単純なようで深みのある言葉だと知った。会えなくても、届く心がある。気遣いがこもった文字は、生きる希望をともす。
通院で抗がん剤の点滴治療を受ける。自宅では仏間に布団を敷いて、少しでも祈る時間をつくった。横になると、池田先生の「諸法実相抄」の講義を読み込んだ。
「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし」(御書1360ページ)
「なりとをし」の通り、今が信心を貫く時。闘いに孤独はなかった。
「抗がん剤は、私が私でなくなっていくよう。でも、乗り越えて、何かをつかめるはず。このがんは、妙法のリズムに生きる中で起こった出来事だから」
手術を控えた入院中、乳がんを患う婦人と同部屋になった。彼女の元へ見舞いに通う母親は、よく目元をハンカチで拭っていた。
思わず二人に話し掛け、自分の歩みを伝えた。「つらいかもしれないけど、きっと大丈夫です。私のがんも小さくなりましたよ」。再び涙を拭く母親の表情は変わっていた。
術後、覚悟はしていたが傷口の痛みはこたえた。副作用で、髪も抜け落ちた。化粧を工夫しても、こけた顔は分かる。切なくなる要素を挙げればきりがない。
「こんな時こそ、おしゃれだよ!」。そう勧めてくれる人がいた。ウイッグを二つ買った。いつもと違う格好に身を包めば、鏡に映る髪も悪くない。おっくうになる心を持ち上げ、近所へ人に会いに出掛けた。
1年3カ月を経て、学会活動に戻る。療養前、励ましてくれた婦人部の先輩と久しぶりに会った。
「上原さん、大変な病気をよく引き受けて闘ったね」
たたえてくれる口調に優しさがあふれていた。「引き受けた」と言った意味が、温かく胸を包む。
池田先生は語っている。
「自分の苦しみを『業』ととらえるだけでは、後ろ向きになる。それを、あえて『使命のために引き受けた悩みなのだ』『これを信心で克服することを自分が誓願したのだ』と、とらえるのです。願兼於業は、この『一念の転換』を教えている。宿命を使命に変えるのです」
励まし、励まされる世界。顔を合わせれば、いつも感動があった。
「正直に生きればいい。がんを隠さなくてもいいと思えるようになりました。苦労もみんなに見せるんです。その姿は、きっと誰かの勇気になる」
◇ ◆ ◇
友の励ましに行くと、見える“景色”が変わった。一人一人が抱える気持ちの背景にまで、より思いが巡る。夫は「相談の連絡があると、すぐに飛んでいくね」とうれしそう。
がん治療の経過は、細かにノートに残してきた。闘病の相談を多く受けるようになった今、かつての自分に立ち返る財産になった。
先日も、がんと向き合う婦人と話し込んだ。最後に言われた。
「上原さんは、仏の使いみたい。声を聞いてるだけで、すごく元気になるから」
思わず「もったいない言葉ですよ」と返した。多くの支えがあって、ここまできた。“病と闘う人は、新たな境涯を開く人”。尊敬を込めて、心に“春”を届けていく。
2年前、母校・創価大学の息吹に触れた。受講した講座のテーマは「生活習慣の改善でがんを防ぐ」。自身の経験を再確認し、誰かの役に立つ力にするため、さまざまな角度から知識を吸収しておきたかった。
術後8年。再発への不安はもちろんある。この先も拭い切れないと思う。祈り、励まし合う中で、かけがえのない“今”を踏みしめたい。
「大切なのは、心が濁流にのみ込まれないこと。前に進めない時があってもいい。ただ、後ろには一歩も引きません」
上原さんは山口県で生まれ育ち、山口未来会や創価大学7期生として池田先生との思い出を刻む。2005年、新設の見沼太陽区の婦人部長に就任し、活動に励む中、乳がんが見つかる。
2009年8月 夫の職場からの勧めで検診を受け、左胸の石灰化が分かる
2010年1月 県立がんセンターで検査後、左ではなく右胸に乳がんの疑いが
2月 針生検を経て、確定診断
3月 抗がん剤治療開始
9月 手術で部分切除
抗がん剤でがんは縮小。術後、リンパ節転移が分かり、ステージ3aと診断を受ける。放射線治療を経て、現在、10年間を目指したホルモン療法を続ける。
乳がんの検診受診率
乳がん患者は、1977年からの35年間で約7倍に増え、2013年には約8万人が診断された。検診の普及により、初期段階で見つかることが多く、ステージ2以降は減少傾向にある。大事なのは定期的な検診などで早期発見に努めること。
アメリカやイギリスではマンモグラフィー検査によって、上昇し続けた死亡率を下げることができた。日本では40歳を超えると2年に1回の検診が推奨される。だが、厚生労働省によると40~69歳の過去2年間の検診受診率は、44.9%と半数にも満たない。(『国立がん研究センターの乳がんの本』小学館参照)
今回の投稿は、ほとんど聖教新聞の記事になってしまいました。でも、〈名字の言〉も〈信仰体験〉も、どちらも、何度も繰り返し読んで噛み締めたい、そんないい内容だと思いました。
そういえば、おがわ焼き鳥が再開したそうです。美味いんですよね。🤤
いつ行けるかなあ?