すごくよくないですか?
多少酔ってはいますが、帰りの電車の待ち時間に読んだ〈名字の言100選③〉に、気になる名字の言が載っていました。1993.1.22の名字の言でした。
高齢化時代と生の充実
ある家を、宝石で身を飾った美しい容姿の女性が訪ねて語る。「私は行く所どこでも、金銀などの財宝を与える」と。主人は喜び迎え入れようとする▼ところが、門外にはもう一人の女性が立っていた。先の女性とは反対に、醜い容姿で、衣服もほころび垢に染まっている。青白い顔で「私は、行く所どこでも、その家の財宝を衰え失わせる」と。主人は刀を抜いて追い払おうとした▼しかし美しい女性は姉で、醜い女性は妹だという。共に行動し常に離れることがないという二人を、主人はついに去らせたーー涅槃経に出てくる話である▼ここに登場する姉は「生」、妹は「死(老・病)」を例えたもの。生ある限り老・病・死から免れることはできない。凡夫は生(姉)のみを愛して執着し、老・病・死(妹)を厭い嫌う。その結果、かえって死の不安・恐怖にとらわれ生を充実させることができないと、釈尊は襲える▼苦悩に出会った時、それを自らの人格を深め飛躍するバネとしていく前向きな姿勢で臨むか、それとも単に苦悩に打ちひしがれるだけか。その生き方の“差”は、老苦・病苦そして死苦という現実に直面した時、より明確になってくる▼高齢化社会が進む中で延長した生をどう充実するかが今問われている。「半身不随などの重い障害を背負った時、何不自由なく過ごしてきた人、また社会的な地位・名誉を至上として生きてきた人ほど厳しい現実に弱い」。老人医療の経験の豊富なある医師の言葉だ。他者の幸せのためにも老苦をいとわぬ信仰実践の日々。鍛え抜かれた生命は、生涯青春の輝きを増す。
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