信じられない―――
午後思いもよらない連絡が入りました。信じられませんでした。
友人が亡くなった----!!!
今夜も4人で唱題しました。私は、昴の一周忌のときに学んだ御書を思い出さずにいられませんでした。
い(生)きてをわしき時(とき)は生(せい)の仏(ほとけ)・今(いま)は死(し)の仏・生死(しょうじ)ともに仏なり、即身成仏(そくしんじょうぶつ)と申す大事(だいじ)の法門(ほうもん)これなり(上野殿後家尼御返事 1,504ページ)
【通解】生きておられた時は生の仏、今は死の仏。生死共に仏である。「即身成仏」という大事な法門が、これである。
大聖人は「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華経の血脈相承とは云うなり(生死一大事血脈抄 1,337ページ)と記されている。どんな名声も権勢も、人生の終わりには塵のように消える相対的幸福にすぎない。妙法という、大宇宙を貫く不滅の法則から離れない人こそ、三世永遠に「生も歓喜、死も歓喜」の、絶対的幸福境涯となるのだ。
池田先生は語られた。「たとえ短命であっても、『生命力』満々と生き、大いなる価値創造をして亡くなれば、その人は『長寿』だったのです。また広宣流布をして、多くの人々に偉大な『生命力』を与えたこと以上の『長寿』はないと言える」と。
広宣流布の使命に生き抜き、わが生命を勝利で飾りたい。