自己嫌悪
昨日の川崎の事件のことで批判的になってしまい、ちょっと自己嫌悪です。批判的な感情になるのは、自分のことで不満を抱えているからかもしれないですね。たぶん。
😢
妻がだいぶ疲労をためている様子です。でも私の妻はすごいと思う。自分の労を惜しまず、睡眠時間を削ってでも、私たち家族や、苦しんでいる友人のために自分の時間を使っている。そこに手抜きや妥協はありません。本当にすごいと思う。他者のために尽くす、その尊き精神が妻の心の奥底まで染み渡ってるんだろうな。だいぶお疲れですけどね・・
そんな妻に感謝の気持ちを抱きつつ、じゃあ私はどうやって、友人の心の中へ飛び込んでいくべきか。今朝も聖教オンラインを読みながら、考えています。でも、まだ自分の考えはまとまりません。うー、ちょっと苦しくなってきたー。
今日の〈名字の言〉を貼り付けさせてもらい、今朝の投稿は終わりにします。
早朝の出勤の道すがら、自転車で本紙を配達してくださる方と、いつも出会う。先日は雨だった。それでもレインコート姿でビニール袋に包んだ新聞を、普段と変わらない時間に配っていた▼天気に限らず、気温や自身の体調など、日々、環境は変化しているであろうに、その方はほぼ同じ時刻に走っている。その陰にはきっと、状況に左右されないための尊い努力があるに違いない▼会社都合で失職した壮年に、多宝会の先輩が「次の仕事が決まるまで一緒に祈ろう」と励ました。2人はこの場を「晴天勤行会」と名付けた。“どんなに荒れた天気の日でも、雲の上は晴れ渡っている。私たちも、この意気で進もう”との決意を込めたという▼だが一向に就職先が決まらない。勤行会は半年間続いた。そんなある日、ついに正社員で採用との連絡が。想像以上の厚遇に「信じられない!」と繰り返す壮年に、先輩は言った。「僕はずっと、君の勝利を信じていたよ」。壮年は涙し、先輩の手を握って感謝した▼その先輩にもかつて、次々と襲い来る宿業の嵐を、信心と努力で打ち破った体験があった。“大切な同志にも人生を勝ち開いてもらいたい!”――私たちにこの真心がある限り、創価の励ましの世界は変わらず輝き続ける。