喪主あいさつ

父の葬儀から一夜明けました。まだ親を亡くしたなんて、信じられません。一緒に住んでいないせいもあるのかな。

今日の聖教新聞〈わが友に贈る〉です。

愚痴は福運を消し

 感謝の唱題は幸を築く。

 「心こそ大切なれ」(御書P1192)

 報恩と随喜の一念が

 大きく境涯を開く!

と、教えてくれています。

昨日の喪主あいさつで、私は父への感謝の気持ちと、生前父を支えてくださった方々へのお礼を話させていただきました。昨日の告別式に来ていただけなかった皆様にも、その気持ちをお伝えしたいので、喪主あいさつの全文を載せさせていただきます。

本日は、お忙しいところ、父・小林春光の葬儀にご会葬いただきまして、誠にありがとうございます。

また、丁重なるご弔意並びにご厚意を賜りまして、厚くお礼申し上げます。

父は、子どもである私にとってはとても厳しい人でした。それと同時に、偉大な存在だったと思います。

始まりはとても貧しかったと聞いています。私が小学3年生まで、町営の賃貸住宅に住んでいました。しかし父は、郵便局で必死に働き、私たち二人の息子をしっかりと育ててくれました。最後は小さな郵便局でしたが、局長にまでなりました。また、ほとんど借金だと言っていましたけれども、生涯で、家を2軒も建ててくれました。

またそれ以上に尊敬すべき点は、素晴らしき創価学会の信心を、純真に貫いたことだと思います。

晩年は、夕方焼酎で一杯やって早い時間に就寝し、夜中に起き出しては、長時間にわたり仏壇に向かう生活が続いていたと母から聞いていました。父が仏壇に向かって何をしていたかと言いますと、私たち家族の一人一人はもちろん、近所の誰々さんが困っていると聞くと、その方の幸福を祈って、長時間にわたり、南無妙法蓮華経の唱題を続けていたそうです。昨日、父の仏壇の引き出しに仕舞われていたご祈念帳の束を見せてもらい、その数の多さに驚いたところです。

私としましては、自分の幸せだけでなく他人の幸せにも尽くす、素晴らしき創価学会の信心を小林家に植え付けてくれ、亡くなるまで自ら信心を実践し続けていた父には、尊敬と感謝の気持ちしかありません。

私は、父の生前の姿をこの胸に刻み、父に少しでも近づけるよう信心に励んでいく決意を新たにしました。また、私の子ども達にもこの尊き信心を伝承していくよう、強く決意したところです。

じいちゃん、長い間ありがとう。でもな、もっと長生きすると思っとったで、あとまだ何年もかけて恩返しするつもりやったけど、早すぎると思うぞ。もっともっと手本を見せ続けて欲しかったよな。俺たち遺族のこと、霊山から見守ってな。ずっとな。

今後は、家族一同、力を合わせて頑張ってまいります。今後とも皆様には、故人と同様のご指導ご鞭撻をお願いいたしまして、お礼の挨拶とさせていただきます。本日は、ありがとうございました。

私今週は忌引き休暇をいただくことにしました。さっそく今日から、各種の手続きに動き始めます。

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