寄り添う
やっと金曜日。今週は一週間がとても長く感じてしまいます。祝日があって仕事は一日少ないのに、不思議ですよね。。
さて、今日の〈名字の言〉が良かったのでご紹介します。きっと、やさしい気持ちになれますよ。
ある婦人が駅の構内で、向こうから歩いてくる女性に「ひょっとして○○さんでは?」と声を掛けていた。どうやら2人は知り合いのようで、和やかに語らい始める。その光景にくぎ付けになった。なぜなら、盲導犬を連れた婦人が、白杖を手にした女性を呼び止めたからだ▼目の見えない2人がなぜ分かり合えたのだろうと思い、後日、同じ盲目の壮年部員に尋ねた。彼は50代の時、病で中途失明した。彼の場合、視力を失ってから、知人が白杖に付けた鈴の音色や、つえを突くリズムと音を聞き分けられるほど耳が敏感になったという▼「でもそれ以上に、その人の持つ気配を感じたから分かったのでしょう」と彼は確信を込めて言った。彼は30回以上の手術の末、光を失った。その絶望から救ってくれたのは常に心配し、同苦し、真心の限りを尽くす同志の存在だった▼「姿は見えなくても、そばに同志の気配を感じると安心でき、“よし、頑張るぞ!”と勇気が湧くんです」。彼は「私の代わりに聖教新聞を読んで、感想を聞かせてほしい」と多くの友人に本紙購読を推進し、周囲に希望の光を送っている▼「気配」に送り仮名の「り」を付けると「気配り」となる。他者への思いやりが深いほど、自他共の幸福の社会が着実に築かれていく。
そういえば昨夜、妻が菰野ボーイズ時代の旧友と会って2時間以上話してきたとのことでした。妻はそのほとんどが聞き役で、旧友の近況や苦労話をたくさん聞いてきたそうですが、帰宅した妻の表情は穏やかでとても満足そうでした。
友人の気持ちに寄り添うことで、幸せな気持ちになれるんだなぁと思いました。