今日の聖教新聞から〈青年想Ⅱ〉

以下、今日の聖教新聞に載っている記事〈青年想Ⅱ〉の全文になります。聖教オンラインからのコピペですので、カラー写真もコピペしちゃいました。長文ですが、じっくり読みたいと思います。ちなみにわが家では、紙の新聞を切り抜いてトイレのベストポジションに貼り出しましたー。🙂

誇りを持って生きるために

 創価の哲学や生き方が社会にどんな価値をもたらし、いかなる意味を持つかを青年世代が訴える「青年想Ⅱ」。第4回は、東京・目黒池田区で池田華陽会サブキャップを務める生駒比奈子さんが、「私が信心をする理由」をテーマにつづりました。
  

「創価」と言えず

 高校の休み時間だったと思う。友人たちとおしゃべりしていた時、一人が突然、冗談ぽく宗教の話題に触れた。「創価学会って、あるよね……」
  
 別に、ひどいことを言われたわけじゃない。悪気がないことも分かる。ただ、みんなのその声、その表情から、“怪しい宗教”だと思っていることは伝わってきてしまう。私も一緒に、ヘラヘラと笑ってしまった。自分が学会員だとバレないように――。
  
 広島県三原市に住む両親のもと、私は学会3世として生まれた。座談会にちゃんと参加していたのは小学生の頃まで。参加する意義を感じられず、次第に行かなくなった。自分のスマートフォンを手に入れたある日、「創価」の文字を打って検索してみた。学会を良く思っていない人たちの書き込みや週刊誌の報道が、目についてしまう。学会員であることを「恥ずかしい」と感じるようになったのも、その頃だ。
  

  
 一方で「これはひどい偏見!」と思う書き込みもあった。両親や地域の学会員さんの姿を見ていれば、その内容が全くのデタラメだと分かったから。
  
 共働きで昼も夜もないような毎日の中、父と母は、懸命に私と兄を育ててくれた。学会活動を理由に、何かを我慢させられたことはない。むしろ地区婦人部長(当時)として時間をやりくりしながら誰かを励ましに行く母の背中を見ては、“よくやるなあ”と尊敬にも似た感情を抱いていた部分もある。
  
 国立大学を目指していた私が、とりあえず形だけ創価大学を受験した理由も、「それで母が喜ぶなら」くらいの軽い気持ちだった。ところが――創大からの合格通知に同封されていたパンフレットを見て、私はうかつにも心を奪われてしまった。世界市民の育成をうたう充実のプログラム内容、留学を経験した先輩のキラキラした姿……。「こんな大学生に私もなる!」。そう決心してしまったのだ。
  
 国立大学に受かったのに、行かないの? そういぶかしがる友人たちに、私は「“東京の大学”にいい所があったの」と言って誤魔化して、郷里を発った。2015年の春だった。
  

2015年4月2日、入学式が行われた日の創価大学キャンパス

ケニアに留学して

 創大に進んだからといって、信心をするわけじゃない。それが私の正直な気持ちだった。勉強の傍らで学会活動を頑張る同期や先輩たちのことも、私はナナメから見ていたと思う。
  
 転機は交換留学だった。2017年8月から東アフリカのケニアへ。人口の8割以上がキリスト教徒の国だ。そこで私はSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーと出会う。そもそも仏教徒が少ない国で、学会員はいわば圧倒的なマイノリティー(少数者)。なぜこの人たちは創価の哲学を信じているのだろう――興味を抱いた私は、毎週末の座談会に自ら参加し始めた。
  
 病や経済苦、人間関係の悩みを誰もが持っていた。けれど「信心で必ず乗り越えられる」「自分が変われば環境も変えられる」と目を輝かせて励まし合う光景に、私は心を動かされた。ケニアには教育格差や貧富の差、治安などの課題が山積みだ。それでも「池田先生が『21世紀はアフリカの世紀』と断言されているんだ。私たちには今いる場所で勝ち、みんなを幸せにする使命がある!」と誰もが胸を張っていた。
  

生駒比奈子さんがケニアに留学していた折に参加したSGIの集いで

  
 使命――ふと、郷里・広島の学会員さんたちの顔が思い浮かぶ。そういえば、みんなもよく同じことを言っていた。「宿命を使命に変える信心だ」と。母も、乳がんや子宮筋腫などの病魔に直面するたび、題目を唱えて負けずに乗り越え、その体験を通してみんなを励ましていたっけ……。
  
 帰国を1カ月後に控えた2018年7月、私の故郷を苦難が襲った。西日本豪雨だ。家族のLINEグループを通し、みるみる浸水していく自宅や街の様子が伝わってくる。何もできない自分の不甲斐なさに涙がこぼれた。不安で眠れぬ夜を共にしてくれたのは、ケニアで“母親代わり”となって面倒を見てくれていたSGIの婦人だった。「大丈夫。一緒に題目をあげよう」。一夜明けて家族の無事が分かると、わが事のように喜んでくれた。
  
 帰国した私は一路、広島へ。自宅は取り壊すことになったが、両親は決して下を向かなかった。「必ず意味がある。意味あるものにしていこう」と。被災した三原市の学会員さんたちも、励まし合い、同じ被災者のもとを駆け回って、懸命に支えていた。
  
 置かれた環境を嘆かずに、「自分の行動でより良くしてみせる!」と進む学会員の姿は、ケニアも日本も変わらない。強い信念を持った人たちの集まりを、温かな励ましの世界を、192カ国・地域に広げた学会って、池田先生って、本当にすごい――私は、この仏法を学び実践することに決めた。
  

華陽会が拝した御書

 日本には、なぜ宗教全般を“怪しくて怖い”と見る風潮があるんだろう。きっとそれは単純に“宗教とは何か”を「知らないから」だと思う。ほかでもない私自身が、そうだったから。
  
 世界を見れば、むしろ信仰を持つことは当たり前だ。自分の「生き方」をつくる土台として大切にされている。もちろん信仰したからといって、人生のさまざまな課題の答えがすぐに見つかるわけじゃない。どうすれば「より良く生きられるか」を考え、悩み続けなければならない時もある。その営みは、日本人が抱く「宗教は思考を停止させるもの」というイメージとは正反対だ。
  
 けれどそんな生き方の深さや豊かさって、なかなか周囲には伝わりづらい。“苦楽を共にしながら生きる”中で、初めて伝わることがある。
  

  
 創価学会も、外から見ているだけだと分かりづらい。私は私なりに勇気を出して、学会の輪の中に飛び込んだ。私がこの信心を選び取ったのは、みんなと一緒に笑ったり泣いたりしているうちに、その「人に尽くす生き方」と「自分の人生を自分で開く仏法の哲学」に感動したからだ。とはいえ、誰もが「人間革命」という“より良い自分になる挑戦”の途上にある人ばかり。その“一部分”だけを見て、笑ったりバカにしたりする人もいるかもしれない。
  
 日蓮大聖人の御書に、こんな一節がある。「妙法を信じている人は、幼き日の皇帝がおむつに包まれ、大竜が生まれたばかりのようなものである。外見では分からなくても本来、偉大な人なのだ。ゆえに日本中の人たちよ、私の弟子を決して軽んじてはならない」(新270・全342、趣意)
  
 この御文は、第2代会長の戸田城聖先生が、女子部の「華陽会」の友と拝した一節だと聞いたことがある。戸田先生は、こう励まされたそうだ。
 「自分自身に誇りをもちなさい。気高い心で、人生を勝ちぬくことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない」
  

母の祈りは

 先月13日、私は、東京・目黒総区の「SOKAユースフェスタ」で体験発表に立つ機会をいただいた。マイクを通して私の紹介をしてくださったのは、私が“目黒の母”と慕う支部女性部長さんだ。「ひなちゃんと初めて会ったのは、コロナの感染爆発で『ステイホーム』が合言葉だった頃でした」
  

SOKAユースフェスタで登壇した生駒さん

  
 創大を卒業後、私は就職と同時に大学の友人と目黒区へ移り住んだ。在学中の海外経験を生かした仕事をと意気込んでいたものの、思うようにいかず苦しんでいた時だ。
  
 “目黒の母”をはじめ女性部の方々や同居する友人は、私の弱さを全部受け止めてくれた。悩む私のためにずっと題目をあげ、「つらい時は泣いてもいいよ」と一緒に涙を流してくれたことも。コロナ禍で帰省ができなかった年の瀬に、おせちを差し入れてくれたこともある。みんなで御書を学びながら「大丈夫!」「自分にしか果たせない使命がある!」と励まし合う日々に、どれほど勇気をもらったか。目黒の創価家族がいなければ、強く明るくいられる今の自分は、なかっただろう。
  

生駒比奈子さん(右端)が目黒区の女性部の先輩や同居する池田華陽会の友と

  
 昨年、私は転職した。社会課題を解決するための事業や政策を、企業や行政と一緒につくる会社だ。尊敬する上司や同僚に囲まれ、気候変動や子どもの貧困などの課題と向き合っている。大変だけれど充実した毎日。創大時代から願っていた「困っている人を自分らしく支え、社会に“小さくとも良い変化”を生み出していく生き方」を、スタートできたと思う。
  
 私が信心をするようになってから、母が打ち明けてくれたことがある。実は母も20代半ばまで、信心に反発していたそうだ。だから私の気持ちも分かったのだろう。ただただ“娘が自分のやりたいことをやれるように”“人のため、社会のために尽くす使命の人生を生きられるように”と祈り、信じて待ち続けてきたという。「親にできることは題目を送ること。それと、わが子が弱った時に、いつでも帰ってこられるような“安心の港”であることくらいしか、ないもの」と笑う。
  

母と共に

  
 そんな母や学会家族の姿が、私の目標であり、信心をする理由だ。
 創価の生き方は、かっこいい。
  

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