ワキヤク

誰かのワキヤクに。人生の後半はそんな生き方をしたいなと感じています。

以下、今日の〈名字の言〉になります。

作家の遠藤周作氏は日常の中で、ふとあることに気が付いた。まるで「世紀の大発見のような気がして日記にそっと書きつけた」という。それは――どんな人も、自分の人生では主役であるが、他者の人生にとっては脇役である――ということだった▼この“大発見”以来、周囲への不平がこぼれそうな時も「この人のワキヤク、ワキヤク」とつぶやくように。すると、自らの振る舞いも自然と定まるようになったという(『生き上手 死に上手』文春文庫)▼氏は脇役を「主役のそばにいて、主役のためにいる」存在と語る。つまり、どこまでも主役に光を当てる使命があるということだ。仏法が説く利他の精神にも通ずるものを感じる▼日蓮大聖人は「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)と仰せである。自分中心の狭い世界を破り、他者のために祈り、動くことで、自らの人生も境涯も大きく広がっていく。「利他」と「自利」は一体である▼いつでもあなたのために、あなたのそばにいます――自らが家族や友人にとって大事な“名脇役”として、目の前の一人に心を尽くしていきたい。その時、自分が「主役」である自分自身の人生の新たな勝利劇も幕を開ける。

Follow me!