何でかな?

少し寒いですが、とても穏やかな朝です。

一昨日の雨の朝には駅舎で見かけたつばめさん。昨日と今日は見かけません。天気が関係するのかな。

今日の聖教新聞は〈声〉。愛媛県の女性からの投稿が気になります。

“生きる尊さ”を夫から教わった

 3月5日付「名字の言」にあった、アメリカの作家パール・バックの言葉に、胸を突かれました。

 「(知的障がいのある娘がいなければ)わたしはきっと自分よりも能力の低い人に我慢できない、あの傲慢な態度をもちつづけていたにちがいありません。娘は、わたしに『自分を低くすること』を教えてくれたのです」(伊藤隆二訳)

 私の夫は5年前、仕事中に不慮の事故に遭い、精神・身体共に、1級の障がいが残りました。

 私は結婚以来、夫の入会を願ってきましたが、なかなか理解してもらうには至りませんでした。そんな夫も、思うところがあったようで、今では題目を唱え、一緒に会館に足を運ぶようになりました。

 事故は、悲しい出来事だったかもしれません。しかし私は、「こんなことに負けない」と“負けじ魂”を奮い起こし、「今こそ、強き信仰を確立する時!」と題目をあげ抜きました。

 そして夫は、見えっ張りで人より上にいないと気が済まない私に、まさに「自分を低くすること」を教えてくれました。「生きていること自体が素晴らしい」と気付かせてくれました。

 障がいを隠さず、ありのままに生きる夫は、私の自慢です。これからも、たとえ困難があろうとも、夫に寄り添い、二人でさらなる幸の歩みを進めます。

この投稿者も紹介している3月5日の〈名字の言〉は、私もすごく気になる記事でしたので、プリントアウトしてトイレの壁に貼り、何度も読み返しました。

ただ、今日の投稿は〈名字の言〉以上に気になりました。

何でかな?

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