家族の一員
九州北部では、先日からの大雨の被害が出ています。あれほどの豪雨を目の当たりにすると、自然災害に対する無力感を感じてしまいます。最近、地震や豪雨による大規模な災害が増えている気がしますね。
私は父の忌引き休暇から仕事に復帰して、今日で四日目。だいぶ仕事の感触を取り戻しつつあります。
さて、今日は帰りの電車で読んだ〈名字の言 新100選〉から。聖教新聞の掲載時期は、2004年から2006年の間のどこかの日とのことです。
みんな地球家族の一員
通勤途中の駅。向かいのホームにいつもの少年がいる。知的なハンディに挑戦しながら、養護学校に通う中学生だ。
いつもと同じく小さな筆箱をポケットから取り出し、口に当てる。そして場内アナウンスのまねを始める。「次に、1番線に到着の列車はー・・・・・」。本物の駅員さんも、にこやかに見ている。
電車を待つ人もほほ笑む。毎日、ホームに和やかな時が広がる。少年がいない日は、さびしい。「いないねぇ。風邪でもひいたのかなぁ」「そうですね。ちょっと心配ですね」。見知らぬ同士が声を交わす。毎日、少年を中心に「温かい家族」が出来る。
長年、日本における障害者教育の現場に携わっていた人が語っていた。「日本では『世間』というものが、しばしば差別の温床になる。『世間に迷惑をかける』とか『世間に恥ずかしい』と、排除が始まる。だから『みんなが今をともに生きる家族』という意識を、社会全体に広げることが大切なんです」
貧しい人、差別された人を教団に受け入れていた釈尊は、「家族なきものの家族」と讃えられた(『百五十讃』)。すべての人がそれぞれの使命をもって生まれてきた、地球家族の一員。そういう意識を、今、社会に、世間に広げていきたい。