今日の体験

今日のSEIKYO ONLINE「信仰体験 ターニングポイント」歯科医師 勝又桂子さん

『お母さんは使命を果たして生き続けている』です。

すごくいいことが書いてありますので、全文をそのまま載せます。

 悲しみとは無縁で生きてきた。
 中学では学級委員。成績は常にトップ5。東京の創価高校を卒業後、6年制の歯学部に進んだ。実家のある東京都練馬区から片道2時間を通い切り、良友にも恵まれた。
 そんな勝又桂子に、試練は、突然襲ってきた――。
 2008年(平成20年)、大学5年生の春だった。自宅に帰ると、両親に呼ばれた。弟も一緒に、家族4人でテーブルを囲む。母が、ゆっくりと口を開いた。
 「お母さん、がんになったみたいなの……」
 母は49歳。がんになるなんて、思いもしなかった。膀胱を切る手術を受けたが、がんは腎臓にも見つかった。医師から、がんの進行度が最も高い「ステージ4」と告げられる。
 抗がん剤の点滴治療が始まった。母は副作用で髪が抜け、吐き気がひどく、食事もろくに取れなかった。
 日に日に痩せていく母を見るのがつらかった。だが、桂子は絶望しなかった。創価学会の地区婦人部長、支部婦人部長を20年近く務め、地域をさっそうと駆けた母。もともと持病があり、医師から「子どもは望めない」と言われたが、2人の子を出産できた。
 だから、桂子は信じていた。“お母さんは一生懸命、信心してきた。今度も絶対乗り越えてくれる”と。
 * 
 当時、母は何を思い、どんなことを話していたのだろう? 桂子は正直、よく覚えていない。自分の生活で精いっぱいだった。そして、“絶対に大丈夫”と思う一方で、母の病状を直視するのが、どこか怖いという思いもあった。
 母は手術後から、生活の大半を病院で過ごすようになった。桂子は母の代わりに、掃除や洗濯など家事全般を担い、勉強にも励んだ。
 年が明け、09年6月、大学では、全9回に及ぶ卒業試験が始まった。母の闘病から1年。2回目のテストを終えた時点で、合格ラインを大きく下回った。とても、最後までやり抜ける気がしない。
 闘病中の母。黙々と働き、毎日病院へ見舞う父。親に心配は掛けたくない。そんな時、目に留まったのは、家の仏壇に置かれていた一枚の紙。母の字で御書の一節が記されていた。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)
 母が“信心で勝ちなさい”と教えてくれている気がした。祈ると、焦る心が、落ち着きを取り戻すのが分かる。“必ず卒業して、歯科医師になってみせる”。試験の点数は、回を経るごとに伸びていった。
 * 
 秋になった。母の闘病も1年半になる。ある日、大学から帰ると、父に声を掛けられた。
 「お母さん、あと1週間なんだ……」
 全身を刺されたような痛みが走った。
 “どうして……”
 翌日、母の前でも、涙は止まらなかった。細くなった母の手を握り締めた。
 「私が助ける。絶対に助けるから!」。泣きじゃくりながら、そう繰り返した。母を救いたい。だが、容体は刻一刻と悪くなる。心が締め付けられるようだった。
 創価学会ドクター部の婦人の先輩に、込み上げる思いを打ち明けた。
 先輩は、こう語ってくれた。
 「お母さんは、あなたと弟さんという後継者を立派に育て上げた。信心の模範を示された。今世の使命を全うされた時、お母さんは安らかに霊山に旅立たれるのよ」
 はっとした。それまでは、病が治らないと“信心の負け”のような気がしていた。
 だが、そうじゃない。母に最期が訪れるとしたら、それは「使命を果たし終えた瞬間なんだ」。
 09年10月15日、母は51年の生涯に幕を下ろした。涙がこぼれた。しかし、桂子は安らかに眠る母に、心から呼び掛けることができた。
 「お母さん、勝ったね。お疲れさま。本当にありがとう」
 * 
 今年、母との別れから9度目の春を迎えた。父が大切に保管してきたメモがある。母が亡くなる直前に書いたものだ。
 〈苦労も多いけれども、一番楽しい人生を、勝ち飾っていこう〉
 それは、母が好きな、池田先生の言葉だった。思えば、母は病床にあっても、はがきを書き、友人に仏法を伝えていた。見舞いに訪れた同志を、逆に元気づけてもいた。
 過去世、現在世、未来世。仏法では、生命は三世永遠と説く。
 生死を繰り返す中で、次の人生に引き継げるのは、財産でも名誉でもない。信心で得た福運だけである――だからこそ、「この瞬間を全力で、広布に生き切る」。それが母の誓いだった。
 メモは、もう一つあった。
 〈私は、2人のすばらしい子供をうむことができました〉
 桂子は今、憧れてきた歯科医師になった。どんなに仕事が忙しくても学会活動に励み、悩んでいる女子部やドクター部のメンバーがいれば、そのもとへ駆け付けた。家族の病気や死別に苦しむ仲間には、自身の経験を語ることもあった。
 母の生きた軌跡が、今も誰かの力になる。だから桂子は思う。「お母さんは、広布の使命を果たし続けているんだ」と。
 かつて、創価高校の卒業式で、池田先生は、桂子たち学園を巣立ちゆく卒業生に、こう語りかけた。
 「『誓い』は、貫いてこそ誓い」
 その言葉の深意を、母が教えてくれた。
 今また桂子も、医師として社会に貢献し、信仰者として広布に生き抜くことを誓う。その歩みが、恩返しになると信じて――。

今夜妻と、桑名会館で本部幹部会同時中継を見てきました。すべてに感動しました。私は、特に北海道の果樹農家さんの体験と、原田会長の指導に感動しました。

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