爽やかな朝の出発

妻が新聞代配を終え、ゆめを送り出し、一息ついていたところで、私は目を覚ましました。

他県の友人の紹介カードとやらを熱心に記入していました。聞けば、暑さに痛んでいたかずちゃんが大復活を遂げ、その姿に触発された妻が鼻息荒く、「フゴー!!」って感じで日曜の早朝を一人で過ごしていました。すると、そこへ噂のかずちゃんが我が家の前を通りかかってくれ、妻が書き上げたカードを手渡していました。ワオ! すっぴん女性×?歳×2人=?? でも、意外と爽やかな朝でしたよ。

わが家の玄関の鉢植えが復活しました。

植えてもいないところにユリが自生してます。

紫式部が色づき始めました。

昨夜の帰宅が0時近くになりましたので、妻の睡眠時間はとても短くなっています。本人も「どこかで二度寝しないとやばいかも。」と言っています。

太陽のまゆみちゃんは元気にしてるかな? 顔を見に行こうか。妻とそう話しました。

妻が聖教新聞を読んでいましたので、私はパソコンで聖教オンラインを読みました。今日は〈名字の言〉がよかったです。

〈名字の言〉 2018年8月19日

 婦人は泣きながら御本尊の前に座った。認知症の母親を自宅で介護しているが、その言動にもう耐えきれない▼母が仏間に入ってきた。また悪口を言われるかもしれない。身構えた瞬間、母が隣に座り、合掌した。「悩みがあるなら、一緒に祈ろう」と。悩みの原因は……婦人は、喉まで出かかった言葉をのみ込み、共に唱題を始めた。次第に、親子して広布に歩んだ思い出がよみがえる。戦後の貧苦に耐えた強い母。悩める友に寄り添い、一緒に題目をあげた優しい母――。“母の信心は変わっていない”。婦人の目から、再び大粒の涙があふれた▼かつて取材した、ある広布草創の同志は、「御書も池田先生の指導も、『頭』や『心』より『命』に刻むんだ」と語っていた。「人の『心』は移ろいやすい。だから実践を通して、心よりもっと深い所にある『命』に刻むんだ。人間革命と宿命転換のために」と▼日蓮大聖人は「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書563ページ)と仰せである。釈尊が説いた膨大な経典も、全てわが身の生命について記した日記なのだ▼たとえ“記憶”が薄れても、生命の日記帳に刻まれた“記録”は三世永遠に消えない。今日という生命の貴重な一ページに、信心の金の思い出を刻みたい。(之)

〈女性に贈ることば 365日〉もよかったよー。

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