充実した日曜日のスタート

今朝は聖教新聞の配達を、遂に一人でやり遂げました! しかも、ノーミス。これで、今後毎週土日妻が行っている新聞配達の負担軽減要員(自称)になれる自信がつきました。

そして今朝もゆめを高校まで送りました。今日も練習試合だそうです。

穏やかな朝ですが、今朝の鈴鹿の山は、すごく「平面的」な感じがしました。日によって見え方が違いますね。

帰宅後、聖教新聞を読みました。

すると、〈信仰体験〉に感動しました。31歳になるダウン症の息子さんを持つ親子の体験です。記事全体から、創価学会の温かさとそのご家族が信心でつかんだ幸せの深さがにじみ出ています。紙の新聞は写真が白黒でしたので、パソコンの聖教オンラインの画面を撮りました。また、長いですが、〈信仰体験〉の全文をのせさせていただきました。

〈信仰体験〉 ダウン症の長男がくれた“千の歓喜” 2018年11月11日
「あなた」がいたから「私たち」も変われた

 【埼玉県本庄市】「行ってらっしゃい!」。青木敏昭さん(61)=東児玉支部、圏長=と妻の広美さん(58)=総県婦人部長=が、自転車で職場へ向かう長男の伸也さん(31)=男子部員=を見送る。“天使”のように、ニッコリするわが子は「ダウン症候群」。800人から1000人に1人の割合で、染色体異常により出生する疾患。伸也さんは筋力がつきにくく、抵抗力が弱い。知的障がいもある。しかし夫婦は、そんなわが子に心から感謝する。“私たちは、この子から、信心を教えてもらっている”と――。

学会の庭で育てたい
 夕方、伸也さんは作業所から帰宅すると、まず一番に洗濯物を取り込む。そしてTシャツなど一枚一枚、ピシッとシワを伸ばし、縫い目と縫い目を合わせて折り畳んでいく。
 クリーニング店に出したような仕上がり。学会活動から帰ってきた広美さんはそれを見て、「伸也にやってもらうと全然違うね!」。母の笑顔に、伸也さんもニッコリ。
 夕食後は、進んで皿洗い。ただ、家族に喜んでほしいだけ。
 母は、顎の力が弱い伸也さんのために、料理にも一手間掛けてくれる。父は朝、伸也さんが仕事に出掛ける際、「今日は寒いよ」と着ていく上着を選んでくれる。
 温かくて、優しい両親のもとに、伸也さんが生を受けたのは、1987年(昭和62年)7月。低出生体重児で、口唇口蓋裂だった。
 1カ月後、「お子さんはダウン症候群です。心臓に穴が開いており、1歳を迎えることは難しい……」と、医師から告げられた。
 “伸也に生きてほしい! いや、生かしてみせる”
 青年部時代から学会活動に励んできた夫婦は、入院中のわが子に届ける母乳に、題目を染み込ませる思いで、祈り続けた。幸い、伸也さんの心臓の穴はふさがり、生後50日目には退院。口唇口蓋裂も、体重が6キロになるのを待って、手術をした。
 広美さんは“伸也の使命は大きいはず!”との思いを固めるように、わが子をおぶって、学会活動に歩いた。道で、冷ややかな視線を浴びることもたびたび。それでも会館に行くと、「伸ちゃん、また大きくなったね」と皆の人気者だった。“私は一人じゃない。信心に頑張り抜けば、この子は必ず元気に育つ”
 敏昭さんも、より伸也さんと接する時間を増やそうと、脱サラし、自らガス販売会社を起こした。仕事の合間に、病院の送り迎えなどをした。
 夫婦を支えた池田先生の指導がある。
 「“十の苦悩”があれば“百の福光の太陽”が昇る。厳しき“百の宿命”との戦いは、“千の歓喜の福徳の太陽”と輝く――これが信心である」
 わが子が、最初に喜びをくれたのは、いつだったろう――。
 伸也さんが初めて立てたのは、2歳の時。同年代の子どもに比べ、発育は遅かった。バランスを崩し、なかなか歩くことができなかった。
 半年後、ようやく1歩、2歩と足を運んだ。机につかまり、広美さんたちの方を見てニッコリ。その時の得意気な、うれしそうな顔。“初めて歩けた時の喜びを、伸也は10倍、20倍にもしてくれた”

妹が見た兄の優しさ
 伸也さんから大きな触発を受けた人がいる。次女で、妹の鈴木真希さん(29)=婦人部員。青木さん夫婦は、子どもたちに「平等に接してきたつもり」だったが現実は難しい。
 「兄が通う特別支援学校と、私が通う小学校の運動会が毎年、重なりました。両親は兄の学校へ行きます。正直、寂しかった」
 でも、“兄ばかりズルい”とは思わなかった。「兄の存在は、私にとって“奇跡の連続”だったから」
 伸也さんは小学生の頃、話す言葉は不明瞭で、書く字は解読不能だった。その兄が、2週間に1度、群馬・前橋の病院で療育を受けるように。
 担当の言語聴覚士から「見て、聞いて、触って、自らの五感で認識することで『言葉』になります。たくさんの経験をさせてください」と言われた。
 雪が降れば、家族で雪合戦。伸也さんは、“冷たくて”“白くて”“とけるもの”に驚きつつも、ある時から、「雪」と呼べるように。そして、その日に起こったことを日記に付けるようにもなっていく。
 真希さんは気が付いた。伸也さんがひたむきに、ノートに字を書き写していたことを。1度や2度ではなく、毎日だったことを。“奇跡は偶然なんかじゃない。努力がもたらす必然なんだ”。大切なことを兄から教わった。
 真希さんが高校3年になり、進路に迷った時、思い出したのが、兄を支えてくれた言語聴覚士のことだった。“コミュニケーションは、生きていく上で欠かせないし、交わせた時は喜びになる。そのことを私たちも実感してきた。今度は、私が喜びを広げる番だ”
 真希さんは猛勉強の末、言語聴覚士の資格を取得。勤務先の病院で一人一人の患者に尽くした。現在は、放課後等デイサービスで障がいがある子どもの療育を行っている。
 「私が勉強していると、『頑張れよ!』って、そっとお茶を入れてくれる兄。“守ってやる”という頼もしさ、優しさが常にあふれています。障がいのある兄が、健常者と同じようにできることが増えていくのは、本当にすごいこと。何より、関わる人たちの優しさや、人を慈しむ心を周りに育んでくれました。兄がいなければ、今の私はありません」

諦めずに挑戦 教学試験に合格
世界一の親孝行息子
 父と母の笑顔が、かつてないほど輝いた時がある。
 4年前、伸也さんが誇らしげに1枚の紙を見せてきた。「教学部任用試験」の申込書だった。
 敏昭さんは、受験は無理だと思った。“伸也は、できないことに繰り返し取り組むことで、できるようになる。けれど、一度も経験していないことをするのは難しい。ましてや、合否がある試験なんて……”
 伸也さんと学会活動を共にしてきた男子部員は真剣だった。「お父さん、お母さん、伸也君と、信心の体験を少しでも共にしていきたいんです」
 その熱意に応えようと、伸也さんは教材を開き、ノートに書き写した。毎晩、広美さんと御書を拝読。1カ月、2カ月と続いた。
 ある日、敏昭さんが帰宅すると、「冬は必ず春となる……」(御書1253ページ)と声がする。伸也さんが暗唱していた。うれしくなり、親子で何度も何度も御文を読み上げ、そして、抱き締めた。“伸也は、世界一の親孝行息子だ!”
 合格が発表されると、伸也さんは男子部の先輩と抱き合った。そんな息子を見る敏昭さんの頰を熱いものが伝った。
 昨年、伸也さんは青年部教学試験3級にも合格。親の祈り以上に成長を続けるわが子に、夫婦は目を細める。
 「ある程度の挫折や失敗を重ねると、どうしても、自分で限界を感じてしまうものです。でも、素直で真っすぐな伸也を見ていると、“諦めちゃだめだ”って、勇気が湧くんです。伸也は、私たち家族のかけがえのない宝です」
 あなたのおかげで、私たちは変わることができた――青木さん一家は、その感謝にあふれている。

記事を読んでいる途中は、どうしても昴のことを思い出して涙が出てきましたが、全体を読み終えると、とても幸せな気分になりました。

あなたのおかげで、私たちは変わることができたーー

充実した日曜日のスタートになりそうです。

そういえば、お世話になっているおがわさんご夫妻が揃って体調を崩されているそうで、昨夜の座談会も共に欠席されていました。先週まゆみちゃんが体調を崩したことは聞いていましたが、長引いているようですね。こじらせなければいいのですが・・。

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