唱題会
わが家の玄関先が賑やかになってきました。冬の花々が咲き誇っています。
昨日は妻と交差点の花をきれいにした後、未来部員さん宅を訪問しました。私たちとしては、心からの励ましを届ける以外にありません。
今日は地区の一日唱題会の日。私は朝一9時から1時間あげて一旦帰宅し、1週間ぶりに帰省してくれただいちを迎えにいきました。唱題会の会場は朝一から熱気ムンムンでした。ちょっとした買い物を済ませてから、午後1時から唱題会の会場へ戻る予定です。ちなみに妻は一日頑張るそうです。スゲー。
そうそう。今日も〈名字の言〉、よかったですね。
その少女は、就寝前に父親が聞かせてくれる話が大好きだ。題名は「君が生まれた日」▼「むかーし、むかし……と言っても、4年前なんだけどね」と、物語風に話は始まる。母親の陣痛が始まった時の緊張感。産婦人科まで車を走らせた深夜の道。ついに迎えたその瞬間。産声。両腕に抱きかかえた重み。駆け付けた親族の笑顔。窓から差し込む朝の光――「みんな、君が生まれるのを待っていたんだよ」と父親が言う頃には、少女は気持ちよさそうに眠りに入る▼「無条件の受容」との言葉を教育本部の友から教えてもらった。幼少期に「あなたがいるだけで私は幸せ」と、ありのままを受け入れてもらえる体験を得た子は自己肯定感が高まるという。「無条件の愛情を伝える言葉こそ、『生まれてきてくれて、ありがとう』ではないでしょうか」と▼「有り難う」は元来、“そう有ることがまれ”との意だ。御書には「人間に生まれることは難しく、天から糸を垂らして、それが海底の針の穴に通るよりもまれ」(494ページ、通解)と仰せである。この世に生を受けたこと自体、どれほど貴重なことか▼まして生命尊厳の仏法に巡り合う難しさは言うまでもない。「一日の命は三千界の財にもすぎて候」(御書986ページ)との御金言を胸に、今を全力で生きよう。