どんな姿になっても

今朝は久しぶりの寝坊で始まりました。目覚ましのセット忘れ。10分の寝坊をなんとかリカバリーし、始発のゆめを駅まで送りました。

今日は朝から雨降りです。

〈信仰体験 スマイル 自分らしく〉を電車の中で2回読みました。

秋田の35歳の女性とその両親の体験談。その女性は若くしてご主人を亡くされています。去年には、お母さんに乳がんが見つかり、今も治療が続いているそうです。

私は、記事の最後のところに感動し、共感を覚えました。

この信心で必ず勝つ。お母さんのことを守ってみせる。治療の終盤、お母さんは頭にウィッグを着けて、私とデートしてくれた。

 向かったのは、おいっ子の服を買うお店。顔なじみの店員さん、久しぶりに会うお母さんの姿に、涙を流して喜んでくれた。お母さん、黒い爪を隠そうともせず、胸を張って話してた。「私には、創価学会の信仰があります。だから、どんな姿になっても明るく強くいられます」

 お母さんと一緒に、折伏に歩く。宝物のように輝く瞬間。体験を語れば語るほど、悲しかったはずの思い出が誰かの希望に変わる。

 振り返れば、私は、これまでたくさんの励ましをもらい、試練を乗り越えることができた。だから今度は私が、誰かの支えになりたい。

 悩みに寄り添える自分に。人と人をつなぐことのできる自分に――。

 学会活動に歩く「この瞬間」が、「恩返しの一ページ」になる。

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同志

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