気分を少し戻して
一週間が始まりました。でも、昨日の冴えない自分がいるので、今朝も気分的にはイマイチの状態です。
今夜は桑名会館で会合があり、開始時間が早めの関係で、私は職場から直接会館へ向かう予定にしています。その辺りを妻と確認して家を出ました。
そしていつもと同じように、通勤電車の中で、スマホで聖教オンラインを読みました。〈世界の機関紙・誌から〉がよく、重苦しい気分を少し戻しての出勤になりました。
シンガポールの白血病医師、40代の男性同志です。高校生の時、親友を急性白血病で亡くしたそうです。
「昨日、私の親友は亡くなりましたが、必ず白血病の専門医となり、病魔へのあだを討ちます!」
しかし、勉学に励む中でも、心のどこかで、信心をしていた親友が若くして亡くなったことを納得できなかったのです。そんなある時、池田先生の指導を目にしてハッと気付かされました。
「事故死したり、若死にしたりしても、御聖訓に照らし、仏の眼から見れば、何らかの深い意味がある。生前の福徳また追善供養で救われることも間違いない」
そして、記事の最後のところです。
もし、どこか一つでも歯車が欠ければ、今の私はありません。この信仰で、常に生命力を奮い起こしてきたおかげだと心から感謝しています。母も、この信心で2度のがんを乗り越え、父は経済苦を克服し、私たち息子3人を大学に送り出してくれました。今、私の5人の子どももシンガポール創価幼稚園を卒業し、創価の庭で元気に成長しています。
新しい治療法で劇的に病状が改善する患者がいる一方、それでも効果が出ず、悔しさに泣くこともあります。毎日が、間断ない白血病との格闘ですが、何があっても前進し続ける決意です。
池田先生が言われた通り、病と闘い続けた親友の姿は、いよいよ深く強く、私の胸に刻まれ、“自身の使命を果たしていけ”と鼓舞し続けてくれるからです。
そう。私は「昴の分も生き抜く!」と決意しました。私には、二人分を生きる使命があるのです。