名字の言100選2
今日から「名字の言100選2」を読み始めました。ネットで中古本を購入してありました。この本の発行日は、何と、平成5年12月10日。収録されているのは、1992年1月から12月の聖教新聞に掲載された名字の言からの100編です。掲載されていた中で、1992年2月23日の一編をご紹介します。
「すてきな一言」1992.2.23
大学や高校入試の結果が発表される時期。喜びに包まれる家庭もあれば、悲ししむ我が子を慰める家庭もあるに違いない。親にとっても、我が子の思春期や青年期の入り口での挫折は、悲しい出来事であろう。▼しかし、夢や希望は自分の望み通りにはいかない場合が多いものである。破れた夢に修正を加え、一歩一歩、人は大人になっていく。修正の時期が早いほど、人間は円満になるとされている。その半面、この修正に失敗すると、青年期は一番ゆがみやすい。したがって、挫折したとき周囲がどうかかわるかが、我が子を育てるポイントとなる▼過日、本紙の文化講演会で将棋の内藤国雄九段はこう語った。「プロの卵のころ、負けて帰ったとき、いつも母が『よかったじゃない。他の人を喜ばせることができたんだもの』と慰めてくれた」。将棋界は勝たなければ絶対に上がれない世界。その言葉に最初は腹が立って仕方がなかった▼ところが、数日すると「オレは人を喜ばせてやったんだ。今度はオレが喜ばせてもらう番だ」と思い直して、研究に取り組んだ。そのせいか、人を憎むことがなく、勝負にあまり執着しない人間になってしまったという。「今思うと、あのときの母の一言が自分の大きな支えになっていたことがわかる」ーーと▼傷ついた心を支えるのは、ありのままを受け入れてくれる周囲の温かさである。「自己のベストを尽くしたんなら、それでいいじゃない。人生これで決まりじゃないのよ。さァ、元気を出して」。真の哲理を学ぶ私たちである。我が子に、さり気なく、すてきなひとことが言える親でありたい。
今帰りの電車の中ですが、乗っている電車が人身事故となり、急ブレーキががかりました。そのまま長島で1時間ほど止まったままの状態です。
「現在も、警察の現場検証、救急隊による救出作戦が続いています。運転再開までまだ相当時間かかる見込みです。」と、車内放送が流れました。
大事にならなければいいんですが。
今日の帰りは遅くなりそうです。