励ましの人生
闘病中の友人が苦しんでいるとのことで、どうにか力になれないかと、〈輝きの人間世紀へ―御書とその心—〉をパラパラめくっていました。
すると、池田先生の次のご指導で、私自身が大きく勇気づけられました。
妙法で結ばれた親子の縁は、生死を超えて永遠の希望につつまれる。日蓮大聖人のある門下(松野殿後家尼御前)は立派なお子さんを亡くしてしまった。姿も立派で、心も素直で賢い、すばらしい息子であった。その悲しみを乗り越え、まっすぐに信仰を貫いた、その、けなげなる母に、大聖人はこう仰せである。「(あなたの信心のすばらしさは)ただごとではない。ひとえに釈迦仏が、あなたの身に入り替わられたのであろうか。または、亡くなられたご子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなたの心に入り替わられたのであろうか」(1397ページ) 亡くなった息子さんの成仏は、絶対に間違いありません。そして、いつも、あなたと一緒ですよ。一緒に、「永遠の幸福の道」を歩んでいるのですよ。――大聖人のご慈愛が、染み入るように伝わってくる。ともに幸福へ、と成仏へ――妙法の世界は何があっても、永遠に希望、永遠に繁栄の世界なのである。-1992.2.9
皆さまのなかにも、お子さまを亡くされた方がおられるかもしれない。大切なご主人を、またお父さん、お母さんを失った方々もおられるであろう。私自身も若い息子を失った親の一人である。そうした方々にとって、強き信心の絆によって結ばれて亡くなった肉親が、心の中に生き続け、同じ妙法の同志として広布へ、広布へとわが心を励ましてくれる。これこそ妙法に照らされ、生死を超えた”生命の絆”である。また、生命の世界の限りない”ロマン”ともいえよう。亡くなった肉親とも、生死を超えて強い妙法の絆で結ばれていくとの法理は、御書にも諸所に述べられている。一例としてあげれば、松野六郎左衛門入道に与えられた「浄蔵浄眼御消息」には、「(甲斐公〈六僧の一人・日持〉が語ったなかに)『すべての人が憎んでいる法華経の信者に松野殿夫妻がつかれたのは、ひとえに亡きご子息がお二人の御身にそって信心を勧められたのであろうか』とあったが、そうでもあろうと思う。(中略)また、お二人にもしものことがあれば、暗闇に月が出るように、妙法蓮華経の五字が明るい月となって、行く手を照らすことであろう。その月の中には釈迦仏、十方の諸仏、さらには先立たれたご子息が現れられて、成仏の道へと導くことと確信していきなさい」(1397ページ) どうか皆さま方も、生死を超えた仏法のすばらしい”生命の法則”を確信して、いちだんと信心を強めていっていただきたい。―1988.4.22
わたしの人生も、励ましの人生であれたらいいなと思います。