命の使い方

朝から雨が降っています。梅雨入りでしょうか。

今日は一日休暇をもらっています。午後、弁護士先生との打合せの予定です。職場のみなさんに感謝です。

今朝ゆっくり寝ていたら、すでに妻は仕事に出掛けていました。代わりに母が洗濯物を干してくれていました。

洗濯物を終えた母は、私に話してくれました。私のいとこ夫妻の信心が弱くなっていると。母と妻が折伏したであろういとこ夫妻。残念ながら私自身は疎遠になってしまっていて、今朝母から話を聞くまでいとこ夫妻が入信していることを知りませんでした。

私にできることはないかー

母が帰って行ったあと、聖教新聞を読みました。私が心に響いた箇所をご紹介します。

病でわずかな余命を生きる母が、自分が亡き後の子に思いをはせる。「部活に励んでいる息子の弁当がコンビニの弁当になっても/どうか一緒に楽しく食べてくれる仲間が、そばに居てくれますように」(『はがきの名文コンクール』NHK出版)▼本当は母である私が弁当を作ってあげたい。それがかなわないなら、せめて……という切なる願いだろう。いくつになっても、たとえ自分の命が尽きるとしても、わが子の行く末を案じるのが親心。その思いを受け止め、心の真ん中に置く人は、人生の正しい軌道から外れないものだ

▼創価の母たちが抱くわが子への思いは、母子の満足のためだけにとどまらない。他者に尽くし、社会に尽くす人材に育ってほしいという尊貴な願いである。全ての広布の母に感謝し、報恩の誓いを新たにしたい。〈名字の言〉

 「今のままだったら、私の人生に何も残らないと思ったんです。この命を何に使うのか、誰のために使うのか。そのことを考え、生きたいと思えたんです。その使命感こそ、死の恐怖を上回る唯一のものでした」
学会活動に励み、懸命に祈った。多くの同志が自身の体験を通して、心から励ましてくれた。
つらい時は、池田先生の「困難がないことが幸福なのではない。困難に打ち勝つなかに幸福があるのだ」との指導を何度も読み返した。“私には、同志がいる。先生がいる!”

「病と闘う中で、つらさ、苦しさ、悲しさを義父母と分かち合い、祈り合えたことで、本当の家族の絆が結べたように思います。お義母さんと一緒に信心の確信を、もっとつかんでいきたい。それを実感できる日々が楽しみなんです」

〈信仰体験 「あなたのため」に生きる人生を!病が結んだ家族の絆 〉

信仰体験の後半のサブタイトルは「命の使い方」でした。

何のための人生か。

よし、唱題して自他の幸福を願おう!

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